性格
まず、自分の性格について書いてみる。
ここで重要なのは、自分のマイナスな性格を詳細に記載することである。
どんなに都合が悪い内容でも、自分の感じたとおりに書くことにする。
どうせ他の人は見ないのだから、都合の悪いことを書いても何の問題も無いだろう。
うつ病と診断される人は、性格面の要素が大きいと思う。
どのように物事を考えるかで、気持ちや行動が変わってくる。
自分の性格は楽観的ではあるが、それは小さいころからの体験から影響をうけたものなのかもしれない。
- 軽薄である
自分の性格をあらわすにあたって、これ以上の言葉はない。 主に、考えが浅いことをさす。人への意見も、あたりさわりの無いことしか言えない。 一般論をよく使うので、意見が出てこない。 深く考えずに決断して、後で苦労するタイプである。
- 感謝が言えない
自分は、小さいころ、「ありがとう」が言えない子どもだった。
3~5才ならまだいいのかもしれないが、小学校高学年になっても「ありがとう」が言えなかった。
お礼を言うように教わらなかったのかもしれないが、
そのせいで、同級生からは、風変わりな子どもだと思われていたにちがいない。
数少ない幼馴染だった友人は、きびしく育てられたらしく、それを自分にも言ってくれた。
でも、自分は改善しようとはしなかった。
今思えば「ありがとう」の、相手に伝える感謝の気持ち、本質的な意味が分かっていなかったのだと思う。 - 懲りない
親に叱られるときは、基本的には2,3時間は費やすのが当たり前だった。
帰宅には門限があり、門限に間に合わなかったりすると、長時間正座させられるのだが、 ここで、懲りない精神が鍛えられたのかと考える。
一回叱られても、同じことばかり繰り返していた。
また門限を過ぎて、怒られて、長時間正座させられて、途中で眠くなってしまい、 また叱られたこともある。
もちろん言われても聞かない自分が悪いのだが、 叱られたことが、かえって懲りない性格を助長してしまうことについて述べてみたい。叱られることによって、まず親からのプレッシャーを長時間浴びることになるのだが、 人間はプレッシャーを避けるようになっているので、 何らかの手段で、そのプレッシャーから抜け出そうとする。
そこには、すでに叱られたことの本質は存在しない。
自分の場合、寝ることが長時間のプレッシャーからの回避手段だったと考える。
恐ろしいことに、今でも、プレッシャーがある状況では眠くなってしまう。
そして、本質は理解していないので、同じことを繰り返して、また叱られる。 - ぼんやり
もうひとつ、長時間正座をしていると、不謹慎ながら、暇になってしまう。
何もすることが無くても、その場所には居なくてはならない。
暇つぶしに、周りの景色をぼんやり見ている。近くにある柱の傷は、昔の自分の背丈である。
椅子についた大きな傷は、荷物整理のときについたものである。
ガラスのつぎはぎは、自分が先週ボールを投げた時のものである。
いろいろな景色に長時間浸ることができた。
そのせいかもしれないが、ぼんやりする癖がついたと考える。 - 過去の自分が嫌い
数少ない友人の中で、身なり、言動など、自分のまねをする人がいた。まね、というか、コピーである。
自分は正直、そんなに大した人間ではないと思っていたので、ものすごい不気味に感じた。
ちなみに、自分は大きな人間なのではないかと勘違いしていた時期は、それから相当後のことである。
その友人は、子どもじみた性格というか、気に入らないことがあれば周りの物に当たり散らし、 何かおきたときは他(物など)の責任にし、他の友人には食ってかかる。相当悪い性格だと思う。
でも自分の話す内容に対しては付和雷同で、一度も反論されたことがない。
自分はその友人を嫌っていたが、決定的な理由としては、 昔の自分の性格に似ているところがあったからだと考える。
さすがに物にはあたらなかったが、子どもっぽいところ、他人にやたらと同調するところは、 その友人のコピーである。
昔の自分には戻らないようにしようと誓った時代でもある。 - 怒れない
自分が怒るのは、およそ年に1回くらいのペースである。
それも、無理して怒っている気がする。
沈着、温和といえば聞こえがいいが、それは、怒ることができて怒らない人のことである。
自分は、怒ることができないので、要は、自信が無いのだ。
人間の本来持っている「怒る」という感情。そこに理屈、理由なんて何でもいいのだ。
怒ることはストレスを発散させる人間本来の機能のはずであるから、 何か、基本的なことが抜けているような気がする。
自分のことは差し置いて、怒る勇気も必要だと考える。
ちなみに、ただの指摘ならばできる。 - 外交的
これは、裏を返せば、家に居たくなかったからだ。
家の息苦しさに耐えることができなかったので、頻繁に外出していた。
外の世界には、たくさん新しいこと、おもしろいことが存在した。
それは大人になってからでも、毎日のように外に遊びに出掛け、 飲み会に行かない日はほとんどなく、遊び人として居続けた。 - 楽観的
自分が大人になってからの主義として、他の人を楽しませようと思っていた。
自分の周りにいると楽しいという雰囲気を作るためである。
当然、わいわい仕事をするのは楽しいので、雰囲気作りはそんなに難しくなかった。 - 創造力がある
高校生の頃は、バンドブームにのって他の学生がそうしたように、バンドをやっていた。
楽譜を見ながら同じように音を出す練習をして、ある程度できるようになったときに、 作曲までできるようになっていた。
メンバーも、独創性が高い人が集まっていたので、いい刺激になったと考える。 - 集中力が無い
仕事の話をしている最中に、他のことを考えてしまう。
だんだんと思考が脱線してきて、最終的には全然違うことを考えていることがよくある。 最近は、よく言葉をかみ砕くように気を付けている。 「割愛」と言われたが、どういう意味かまで、 細かい言葉の意味まで考えるようにしている。